翻訳研究会の例会が7月27日(日)の14時から行われました。今回は翻訳の実践がテーマで、H.G.Wellsの短編小説The Door in the Wallの冒頭部分を課題としたところ、4人の会員の方々から翻訳をいただきました。
ウェルズは「SFの父」と称される作家で、The Time Machine, The War of the Worlds, The Invisible Man, The Island of Doctor Moreau, Tono-Bungayなどの作品で知られています。ただし、実はSFというジャンルには父が二人いて、19世紀フランスの作家Jules Verneも「SFの父」と言われます。Verneの物語は当時の技術の水準をもとに、それが発展した予見可能な姿を想像して、それによってもたらされるドラマを描いたファンタジー的性質が強いのに対して、ウェルズは現代技術の未来像ではなく、実現の可能性は考慮の外におき、科学技術の論理的帰結によってもたらされる世界を想像することによって現代の社会や文明の問題点を考え、描き出そうとした作家だといえます。作家として成功し、名声を得てからは、社会活動への傾斜を深め、歴史や文明批評のほうへと進んでいきました。
The Door in the WallはWellsが作家として脂の乗り切った1906年に発表した作品です。主人公はLionel Wallaceという政治家で、幼い頃から秀才のほまれ高く、オクスフォード大学を卒業して政界に入り出世街道をまっしぐらに駆け上っていきますが、内閣の要職につこうとした寸前に、工事現場の穴に落下して死んでいるところを発見されます。物語はWallaceの幼いころからの友人が、Wallaceの人生におきた不思議なできごとについて、Wallace自身の口から聞いた話を伝えるという形で進められます。Wallaceは幼い頃に街をさまよっている間に迷子になり、ある街区にめぐらせた長い塀に緑の扉があるのを見つけました。開けて中に入ると、そこは色とりどりに花の咲き乱れる美しい庭園で、Wallaceは子どもたちと楽しく遊びます。家に帰ったWallaceがその話をしても誰にも信じてもらえず、翌日もう一度その扉を見つけようとしますが見つからず、学校でも嘘つき呼ばわりされます。その後扉のことを忘れますが、大学入学など人生の岐路となるような場面がおとずれると、必ずその扉を見かけます。その度ごとに、中に入りたいという強い衝動に襲われますがこれはあえて無視し、現実に処する道を選びます。こうして出世街道を昇り続けていくWallaceですが、その極みに達っしようとした矢先に、とある街の工事現場の塀にあいた扉から落下しているところが発見された、というわけです。
Wellsは「SFの父」と言いましたが、この物語は普通の意味でのSF小説ではありません。fantasy、もしくはghost storyに分類される場合もありますが、私は「寓話」として読みます。現代という時代は、生計を立てようとすれば社会との関わりを避けられず、社会に関わっていこうとすれば、ほぼ必ず何らかの形で競争にさらされます。他者との競い合いの場合もあれば、自分との戦いという形をとることもありますが、いずれにせよ、そのような状況をほとんどの人は経験しています。そのような状況にうまく順応できる人もいれば、脱落する人、あえて避ける人、対処しようと無理をして心の病をかかえる人など様々で、それが現代人の人生を織りなす意匠そのものだといえるほどです。そして当然のことながら、その対極的な価値として、俗塵を去り、人事にいっさい精神が乱されることのない天上世界への憧憬(それはNirvana「死後の静寂」への憧れを連想させます)が存在します。現代社会に生きる人間が免れないこの心の葛藤を、Wellsは、Wallaceのように衆目一致して才能を認めるような人物――すなわち現代社会に生きる人間の一典型――の不可思議な体験として描いているのではないかというのが私の解釈です。さらにこれに加えて、個人的に連想されることがらを一点書き添えておきます。Wallaceとまったく同じような秀才で、同じように周囲から大きな期待をかけられ、それに十分以上に応えながら人生を駆け抜けた一人が明治の文豪森鴎外ですが、明治44年に書かれた短編「妄想」に、Wallaceの懐いに似通った感慨が表現されています。ご感心のむきはぜひご一読ください。
翻訳の課題としたのは、この物語の最初の数段楽です。幼いWallaceが発見した「楽園」の話を、友人である語り手がはじめて聞かされたときの状況が書かれています。現実ではありえない出来事を、常識的な人物である語り手を通して提示するという、語りの常套パターンです。話を聞いたその夜には、語り手は文字通りに受け止めたものの、翌朝になるとWallaceが自分をかついだのだと思います。しかし時がたつにつれて、Wallaceの幻覚だったのか、現実にそれを経験したのかは分からないにせよ、彼自身にとっては文字通りそのように見えた(と信じている)ことがらだったのだと考えるようになりました。このような思考の流れを理解した上で、それをどのように日本語に訳すかがポイントになります。英語から解釈されるすべての情報を盛り込むことは不可能ですが、文章の流れにとって重要な要素を逃すことなく、うまく読める日本語としてまとめなければなりません。加えて、物語のジャンルを意識して、そのジャンルにふさわしい(つまり、そのジャンルの物語でよく用いられる)言い回しや語彙を意識的に用いるという工夫もおもしろいと思います。いただいた4つの翻訳はそれぞれ力のこもったもので、しかもそれぞれに翻訳者の個性があふれていて読み応えのあるものでした。翻訳者の思いを語っていただきながら、何ものにもかえがたい、とても高尚で楽しい一時をすごすことができました。翻訳を出してくださった方々、当日参加してくださった皆さん、ありがとうございました。
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